日航123便墜落事件ーーーそろそろ真実を語っても良いはず。
みなさんどうも、旅行大好きたっくるです!!
みなさんは旅行、よく行かれますか?
旅行って本当に楽しいですよね。
「旅行は準備が一番楽しい」なんて言われたりもしますが、なんにせよ良い気分転換になりますし、旅先でのひょんなことから自身の見識が広がったりもしますよね!
日本は見所がいっぱいなので国内旅行もすごく楽しいですが、やっぱり「旅行」と聞いて一番に連想するのは「海外旅行」ではないでしょうか?
高校の修学旅行で韓国に行った以外に海外渡航の経験のない私たっくるにとってみれば、海外旅行はやっぱり憧れなんです!
見知らぬ土地で未知の文化と触れ合う・・・想像するだけでワクワクしてきます!
そんな海外旅行、移動手段としてはやはり飛行機がメインになりますよね。
今は格安航空会社も選択肢の一つとしてすっかり定着し、かつての「高額+厚待遇」という時代はもう終わってしまったのかもしれませんね。
地球の裏側へも数日で行ける世の中、航空機が現代社会の発展に大きな役割を果たしてきたことは言うまでもありません。
現代社会に不可欠な存在である航空機。
毎年お盆前になると思い出す事故があります。
僕たち日本人が、決して忘れてはいけない事故。
1985年8月12日(月)18時56分28秒、東京羽田空港発ー大阪伊丹空港着の日本航空123便(ボーイング747)が群馬県上野村の御巣鷹山の尾根に墜落。
乗客524名中520名が死亡する、航空機の単独事故としては世界最悪の大事故が起こりました。
航空機に限らず、車でもバイクでも船でも、事故が起こった際に必ず行うことが二つあります。
一つはもちろん人命救助。言うまでもありません。
もうひとつは事故の原因調査。
「その事故は何故起こったのか」
事故の原因を正しく知り、世の中に広めることはその後の事故防止の観点から大きな意義のある行為です。
それだけでなく、正確・真摯な事故の原因調査は事故の当事者がその被害者、或いは遺族と誠実に向き合う唯一の方法でもあります。
この日航123便事故でも、もちろん事故調査委員会による原因調査は行われました。
国土交通省の外局である事故調査委員会による公式の見解の概要は以下の通りです。
「1985年8月12日に墜落した機体はその7年前の1978年6月、大阪伊丹空港への着陸時に尻もち事故(尾翼底部=飛行機のお尻、を滑走路にぶつけてしまった)を起こした。同機体は羽田空港整備場にてボーイング社の技術者グループにより修理が行われたが、その際に後部圧力隔壁の修理をボーイング社の指示図通りに行わなかったため、力学的に弱い構造に仕上がってしまった。その後、フライトを重ねるたびに生じる機内圧力の変化により後部圧力隔壁にき裂が発生、1985年8月12日のフライト中に遂に後部圧力隔壁が破壊され、大量の空気が外部に流出した。その際に後部圧力隔壁の後ろにあった油圧制御装置、補助エンジン、その他垂直尾翼(航空機における舵)に関わる構造の大部分が吹き飛ばされ、機体は制御不能に陥り、約32分間の迷走の末、群馬県御巣鷹山の尾根に墜落した。」
分かり易い図があったので載せておきます。
http://www.shippai.org/fkd/cf/CB0071008.html
簡単に言うと
「ボーイング社の整備不良によって起こった不幸な墜落事故」
ということですね。
マスコミ、日本政府関係者は現在でも一貫して上記の見解を主張し続けています。
「ボーイング社のせいで起こった不幸な事故」
「後部圧力隔壁の損壊以外に原因は考えられない」
しかしこの墜落事故、発生当初からおかしな点が多すぎたため、遺族のみならず上記の公式見解を信じていない人が多くいるのが現実です。
ではその「おかしな点」とは何なのか??
520名の犠牲者のために、あの事故の真実を知る義務が僕たちにはあると思います。
今回は簡潔に、特に気になる点を3点、ピックアップしていきますね。
①見つからない墜落現場
⇒自衛隊が現場を発見したのは翌日の朝、墜落から実に16時間も経ってからでした。
しかし実は墜落から20分後には米軍ヘリが墜落現場上空で救助準備をしていましたが、日本政府が何故か救助を拒否。更に墜落現場付近の村民がNHK含むメディア・政府関係者に「うちの近くに落ちた!!」と電話をしても無視。「長野県に落ちた!?」なんて報道する始末。
更に更に、墜落前の123便を自衛隊のファントム機2機が追尾している姿が目撃されています。目撃者は多数の小中学生を始め、当時現役の自衛官までいます。子供が揃ってそんなウソをつくとは思えませんし、現役の自衛官が日頃見慣れた機体を見間違うとも思えません。
上記2点、米軍による救助待機・123便を追尾するファントム機を併せると、「翌朝まで墜落現場がさっぱり分からなかった」という日本政府の見解はウソとしか言いようがないです。
②ありえないほどに炭化した遺体
⇒当時検死を行った医師たちは現場にて、これまでに見たことが無いほど炭化した遺体を目の当たりにします。普通の焼死体は何かに接していた部位や、骨や歯は炭化せずに残っているもの。それが骨の中心や、地面と接している部分の筋肉までポロポロの炭と化していました。ではジェット燃料はそんなにすごいのか?と言いますと、ジェット燃料は「安全第一」ということで灯油に近い成分。遺体の骨の髄まで焼き尽くすような力は持っていません。
そして翌朝、現場にはタールの臭いが漂っていました。ジェット燃料にタールは含まれていません。なぜタールの臭いが充満していたのでしょう??
①に記したように日本政府は「墜落現場が見つからない!!」といいながら時間を稼ぎ、その間に証拠隠滅を図ってタールを含む何かを使い、現場を必死で燃やしていたのでしょうか・・・?
③海中に沈む機体の一部を断固として引き揚げない日本政府
⇒2015年夏、神奈川県近くの相模湾水深160mに日航123便の垂直尾翼と思しきパーツが発見されます。運輸省事故調査委員会は引き揚げをせず、「調査は既に終了しました」の一点張り。
この事故において「垂直尾翼がどのように破損したのか」は極めて重要です。それを知る重要な手がかりが目の前にあるというのに、断固として調査を拒否する運輸省。
見られると困るものでもあるんでしょうか・・・?
以上3点をピックアップしてみました。
その他公式見解と目撃証言・証拠との多くの矛盾点から、現在では「後部圧力隔壁破損による不幸な事故」ではなく「自衛隊機による誤射・撃墜説」ではないかと言われています。
「なーんだ、ただの陰謀説かー」
なんて言われるかもしれませんが、それが覆される書籍があります。
元日航のCA、青山透子さんの書籍になります。
僕はこの本を読み始めてから2時間足らずで一気に読んでしまいました。
それくらい衝撃的かつ、反論の余地が無いほどに論理的な内容となっています。
是非ご一読して頂きたい書籍です。
日航123便墜落「事件」とタイトルに書きました。それは「事故」と書くとなんとなく「仕方なく起こった」感が出てしまうので敢えて「事件」としました。
もう34年も経ったんだから、「そろそろ本当のこと言えば?」と思い今回の記事を書きました。
6月の国土交通委員会で国民民主党の津村議員も再調査について質問していましたね。
近い将来、真実が明かされることを願いつつ、今回はここまでとさせて頂きます。
それでは!!